烏帽子岳の孫悟空「第十九話」

烏帽子岳の孫悟空

捜査二日目
平成二十九年九月二十ニ日、AM2:00

時計の針は深夜二時を指している。

二日目の捜査を終えた秋山警部補は、宿泊先のホテルのベッドで静かに吐息をたてていた。

捜査二日目の秋山のスケジュールは、濃厚なものだった。

早朝6時には電話で叩き起こされ、行方不明のタクシーが見つかった土砂崩れ現場へ。

午後から科捜研の西副所長と合流し、夕方からは上司の西東警部たちとミーティング。

ホテルへの帰りがけに立ち寄った喫茶店では、大川内一族の美猴憑きの話を聞きつけた。

捜査は少しづつ前に進んでるようだが、まだ先が見えない状況に置かれている。

捜査三日目となる明日は、更に忙しくなるだろう。

秋山は、日課にしていた深夜の読書を取りやめて、早めに深い眠りについていた。

秋山は夢の中にいる。

暗闇の中。

月明かりが、秋山の立つ場所にだけ薄っすらと光を灯している。

目の前には、森吉祐子が発見された柚木地区の観音菩薩の祠が、ポツンと建っていた。

ここは、あの場所なのか。

秋山は、祐子の顔を思い浮かべる。

彼女は、この祠にもたれかかるように倒れていた。

右手に金色の指輪を握りしめて・・・。

そして着ていた制服の袖には、千年前の猿の毛がついていた。

あの猿の毛は、何時、何処でついてしまったのか?

君はいったい、何を見たんだ。

秋山は、暗闇の中で小さなため息をつく。

ふと、祠の中に視線を移した。

あれ?

秋山は驚いて、目を丸くする。

そこに祀ってあるはずの、あの優しそうな眼をした観音菩薩の仏像が見当たらない。

祠の中は、空っぽになっていた。

一瞬、しんと凍り付くような静けさが訪れた。

秋山は、突然急激な寒気を感じる。

その後、静けさを打ち破るように、一匹の虫の鳴き声が聞こえてきた。

虫の声がだんだん騒がしくなる。

鳥の声も聞こえてくる。

その鳴き声は、どんどん数を増して大きくなっていく。

虫たちも鳥たちも、まるで暗闇を楽しむように、素敵なハーモニーを奏でている。

そして、何処からか小さな鈴の音まで聞こえてきた。

周りを見渡してみたが誰もいない。

鈴の音は、一定の時間をおいて、鳴り続けている。

秋山は、鈴の音を見極めようと耳を澄ませた。

ガサッ。

草を踏む音がした。

人がいる。

秋山は一瞬身構えた。

背中越しに人の気配を感じる。

後ろだ。

秋山は、慌てて後ろを振り向こうとした。

「動いてはいけません」

人の声がした。

男か女か解らない。

心地よいソプラノ歌手のような綺麗な甲高い声だった。

「どちら様ですか?」

秋山は前を向いたまま、緊張した面持ちで声をかける。

その者は、落ち着いた声で、ゆっくりと問いに答えた。

「私は一年前、この場所で森吉祐子を保護した者です」

「森吉祐子を保護した者?」

秋山は混乱する頭の中を整理しようと、必死に自分の記憶を探る。

謎の人物は、淡々と秋山の背後から話しかけた。

「後ろを振り向いてはいけません。そのまま前を向いたまま話しましょう。貴方は優秀な刑事です。だから私は貴方を選びました」

「あなたが、僕を選んだ?」

「そうです。私が貴方を選びました。貴方は鋭い直観力と優れたバランス力を持ち合わせています。でもその力だけでは、この事件は解決できません」

秋山は、黙って耳を傾けている。

気が付くと、いつの間にか秋山の周りは、虫の声も鳥の声もしない静けさに包まれていた。

「貴方の直観はとても鋭い。貴方はその直感に絶対的な自信を持って、今まで事件を解決に導いてきました。しかし今回の事件はその力をもってしても解決できない。相手の方が、一枚も二枚も上手なのです」

「その相手とは、誰なのですか? もしかして、あなたは犯人をご存じなんですか?」

秋山は、思わず問いかける。

その者は、秋山を諭すように語りかけた。

「貴方にヒントを与えましょう」

「ヒント・・・ですか」

「今ここで、貴方に犯人を教えることは出来ません。それは、我々のルールに反します。ですから事件解決のためのヒントを貴方に託します」

「本当に、あなたを信じても良いのでしょうか?」

「それは、貴方が決めることです」

その者は、ゆっくりと秋山に語り掛けた。

「ヒントは三つ。一つ目は、千年前の猿の毛のことです。貴方の考えは間違っていません。西海市と佐世保市、この二つの事件は繋がっています。ただし、不思議な毛並みを持つ猿を探しても、事件の根本的な解決にはなりません。警察が失踪したタクシーの捜索に追われ、一年経っても犯人に辿り着けないのと同じです。ことの本質を見抜きなさい」

「ことの本質?」

「二つ目。消えた指輪のことです。この指輪には、重要な秘密が隠されています。早く指輪の行方を追いなさい。そしてもし指輪を見つけたら、絶対に指にはめないこと。空にかざしてみなさい」

「もし指輪をはめたら、どうなるのです?」

秋山は、興味津々に問いかける。

その者は、秋山の問いを無視して話をつづけた。

「三つめは、信仰のことです。貴方は信仰の表側を見つめている。でも、この事件は表側にとらわれてしまうと、相手の思う壺で真実を見失ってしまいます。信仰の裏側を覗きなさい」

「信仰の裏側ですか・・・」

秋山は難しい禅問答に、苦笑いを浮かべた。

「もう時間です。最後に・・・私は貴方に、二つの切り札を与えています。切り札を使うタイミングを、絶対に間違わないように」

「ちょっと待ってください。僕には直感しか武器はありませんよ。そんな凄い切り札を、二つも持ち合わせているとは思えませんが・・・」

「貴方にしては、鈍い反応ですね。いつものようにもっと素直になりなさい。迷う心は、正しい目を曇らせます。二人の女性が貴方に力を貸してくれるでしょう」

「二人の女性ですか。僕の周りにそんな女性がいますかね」

「一人は、森吉祐子」

「えっ、森吉祐子ですか?」

「そうです。私は彼女を救いました。今度は貴方が彼女を守りなさい。貴方には彼女の力が必要です」

「何故、彼女の力が必要なんですか?」

「だから、私は彼女を保護し守ったのです」

「それは、質問の答えになってませんね」

秋山はため息をつく。

暗闇の中で、謎の人物は静かに微笑んだ。

「そして、もう一人は・・・」

「五反田恵ですね」

秋山は、独り言のようにつぶやく。

その者は、秋山の背後で小さく頷いた。

「そうです。やっといつもの素直な貴方が戻ってきましたね。先ほども言いましたが、迷う心は、正しい目を曇らせるのです。私は彼女を貴方のもとに誘導し、貴方は彼女を部下に選びました。これは偶然ではなく、必然です。五反田恵の不思議な力は、貴方のピンチを救うでしょう」

そうか、五反田ちゃんの特殊能力か・・・。

しかし、本当にそんなものが役に立つのか?

確かに彼女の捜査一課への配属は、通常ではありえない人事だった。

僕が推薦したくらいで、あんなスムーズに配属が決まる訳がない。

何かしらの見えない力が作用していたという事なのか。

秋山は、祠をじっと見つめている。

祠の中は、空っぽのままだ。

ちょっと待てよ。

秋山の目が、突然鋭くなる。

暗闇の中で静かに身を潜めていた森の空気が、ざわざわと騒めきだした。

五反田ちゃんが僕のピンチを救う?

私が貴方を選んだ?

森吉祐子を保護した者?

そんな馬鹿な・・・。

秋山の頭の中に、金色の光が飛び込んでくる。

その瞬間、秋山の脳裏にある事実がひらめいた。

「森吉祐子を保護した者?・・・もしかしてあなたは!」

秋山は驚いて後ろを振り向く。

そして夢は途切れた。

次回のお話
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片や1980年代、高度成長著しいバブル絶頂の大分市。中学二年生の卓也は、仲間たちに囲まれ、楽しい学校生活を過ごしていた。そんなある日、彼は幼馴染の部屋で衝撃的な場面を覗き見ることになる。
二つの物語が重なり合う時、この物語は驚愕のラストを迎える。

やまの みき (著)
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