小説「烏帽子岳の孫悟空」第四十九話

烏帽子岳の孫悟空

捜査四日目
平成二十九年九月二十三日、AM10時11分

秋山警部補が運転する白色のマツダアテンザは、烏帽子岳を柚木地区方面に南下する。
助手席に座っている守口巡査部長の視界に、次々と森や畑などののどかな風景が飛び込んできた。

「そろそろ、着く頃だよね」

秋山は、後部座席の川頭杏里に話しかける。
川頭は、少し緊張気味に問いに答えた。

「はい、観音菩薩の祠はそのカーブの先ですぅ。本当に行方不明の高校生たちが、そんな所にいるんですかぁ」

「ほんと、そうですよねぇ。もし誰もいなかったら、秋山さんに責任とってもらってご飯奢ってもらっちゃいましょうよ」

守口は、安定の軽口を叩く。
三人を乗せた車がカーブを曲がったその先に、観音菩薩の祀られた祠が見えた。

「あっ、誰か倒れてますよぉ」

川頭が、後部座席から身を乗り出しながら、舌足らずな声を張り上げる。
秋山は、祠の先にある車が一台駐車できる狭いスペースに、車を駐車した。
祠の前に、紺色の聖文女子学園の制服を着た女子高生が、重なり合うように倒れている。
行方不明になっていた、塩田はるかと大林涼子だ。
三人は慌てて現場に駆け付ける
秋山は、大声をあげて話しかけたが、二人とも全く反応がなかった。
川頭と守口は、秋山の指示で二人を介抱する。
秋山は、隅々まで祠の周りに目を配ったが、柚原慶子の姿はどこにも見当たらなかった。
秋山は祠の前に立つ。
優しそうな瞳が、一瞬だけ鋭くなった。
観音菩薩の仏像が無くなっている。
祠の中は空っぽだった。
秋山は空になった祠を睨みつける。
これは・・・。
あの時と同じだ。
秋山は、以前みたことのある祠の夢を思い出した。

秋山警部補は、観音菩薩の祠の前に立っている。

「大丈夫ですか?、しっかりしてください」

部下の守口巡査部長と川頭杏里は、倒れている二人の女子高生に向かって声をかけていた。
突然、しんと凍り付くような静けさが訪れる。
秋山を取り巻く空気が、一瞬にして変わった。
なんだ、この変な感じは?
急激な寒気を感じる。
体が一気に硬直する。
一瞬にして、身体が全く動かなくなった。
金縛りか!
秋山は心の中で舌打ちを打つ。
体の自由がきかない。
周りの音も聞こえない。
声も出せない。
秋山は、完全に動きを封じ込められた。
誰かいる。
背中越しに人の気配を感じる。
後ろだ。
これもまた、祠の夢の時と同じだ。
と、言うことは・・・
秋山は、瞬時に背後にいる人物を特定した。
声が聞こえてきた。
男か女か、わからない。

「秋山警部補、また会えましたね」

その者は、心地よいソプラノ歌手のような綺麗な甲高い声で、秋山に話しかけた。

「もう一度、あなたにお会い出来るなんて、思ってもいませんでした」

やっと声が出た。
しかし、金縛りは解けていない。
どうやら後ろへは振りむかせて貰えないようだ。

「塩田はるかと大林涼子がここに保護されていると、よく気がつきましたね。二人が発見されるには、もう少し時間がかかると思っていました」

「単なる直感ですよ」

「その鋭い直感は、貴方の最大の武器です」

「でも、柚原慶子さんが見当たりませんね。僕の直感では、彼女もここに保護されているはずだったのですが・・・」

秋山は苦笑いを浮かべる。

「なぜ、そう思ったのですか?」

「彼女も、この二人と同じく、あの金の指輪に吸い込まれてしまいましたから。違いますか?」

その者は、くすりと笑った。

「その理屈でいくならば、確かに彼女もここに保護されていて、おかしくないですね」

「でも彼女は、あなたに保護して貰えなかった。なぜですか?」

秋山は、不思議そうに問いかける。
その者は、澄んだ声で問いに答えた。

「簡単なことです。天界の者を、このままここに放置しておく訳にはいきませんから。彼女は、孫悟空と一緒に天界で捕らえられました」

「天界の者・・・じゃあ、五反田恵と同じですね。彼女の正体は哪吒太子のはず。柚原慶子の正体は、いったい誰なのですか?」

「それを知ってどうするのです?」

「私は、刑事です。当然ながらこの事件を解決しなければなりません。事件を解決するためには、真実を知らなければなりません」

秋山の言葉に、その者は小さく頷いた。

「そうですね。それでは貴方に柚原慶子の正体を教えましょう」

守口と川頭が、祠の横で必死に女子高生たちを介抱している。
秋山は二人の部下の動きを横目で追いながら、その者の言葉を待っていた。

「彼女の正体は、羅刹女ですよ」

「羅刹女?」

「そう、羅刹女です」

「初めて聞く名前ですね。その羅刹女とは、どういう方なのですか?」

「貴方は、孫悟空の義兄弟の牛魔王という者を知っていますか? 彼女は、その牛魔王の正妻です。牛魔王は羅刹女とともに、猿岩封印された義弟である孫悟空の復活を模索してました。彼らは、人間界に潜り込み、虎視眈々とそのチャンスを伺っていたのです。女子高生を烏帽子岳まで運んで消えたタクシー運転手も、悟空の子分の独角鬼王という者でした。彼らの計画は順調に進んでいき、孫悟空復活の日は、間近に迫っていました。その動きを察知した我々は、哪吒太子を先発隊として人間界に送り込みました。結局、哪吒太子はこちらでの生活に馴染みすぎて、自分が何者なのか思い出せなくなり、最終決戦には参加出来ませんでしたが・・・」

「なるほど、そういう事だったのですね。詳しく教えて下さり、有難うございます。だいたいの事件の内容は解りました。ただ、そうなるともう一つ疑問が出てきますね」

秋山は、さらに疑問を呈する。

「まだ、聞きたいことがありますか?」

「もう一人、消えてしまった人物がいます。二郎神様をこの世に召喚した森吉祐子です。彼女も、この世の人物ではないのでしょう」

「その通り、森吉祐子も天界から送り込まれた者の一人です。彼女の正体は、私の弟子の恵岸行者ですよ。恵岸は、哪吒と違って、途中でちゃんと天界の記憶を取り戻し、無事に自分の役目を果たしました。これで納得しましたか? 貴方に話せる事は、全て話しました。貴方が人間界にいる以上、これ以上は伝えることは出来ません」

「そうですか。この事件は、そもそも天界の神様達が引き起こしたものです。我々人間には、到底理解が出来ない話だと思います。一応、上司にも報告はしますが、私が頭がおかしくなったと、思われるのがオチです」
秋山は諦めたように、ため息をつく。

「まるで、人ごとのような口ぶりですね」

その者は、可笑しそうに微笑んだ。

「天界の神様の争いごとに、なぜ私が関係あるのでしょうか? 人ごとになるのは当然のことでしょう」

「今の貴方と、これ以上、この件で会話を続けても一緒ですね」

「全く、仰っている意味が分かりませんが」

秋山は、その者の禅問答的な答えに、苦笑いを浮かべた。

「いずれ、分かる時がくるでしょう」

「分かりました。あなたがそう仰るのなら、いつか私にも分かる時がくるのかも知れないですね」

「どうやら、貴方は納得してないようですね」

「納得してない? そりゃ、そうですよ。そもそも、何もかも納得できませんね」

秋山は前を向いたまま、少し苛立つように語尾を強める。
二人の間に、重苦しい空気が流れ込んだ。

「何がそんなに納得できないのですか?」

「何もかもです。だいたい、なぜ、あなた方は人間界でこんな争いごとを始めてしまったのですか? 我々は建物も壊され、生活も奪われ、尊い命も奪われてしまい、目も当てられないような損害を被ってしまいました。違いますか?」

「それは、人間の利己主義な考えというものです」

その者は、秋山を諭すように、問いに答えた。

「人間の利己主義な考え?」

「神仏は、生きとし生きるもの全てに、豊かな自然と新鮮な空気、それに澄んだ水を与えました。しかし人間は、自分達の都合の為だけに、自然を壊し、空気を汚し、水を濁してしまいました。では、逆に私から貴方に質問します。貴方はあの孫悟空に何を見ましたか?」

「孫悟空に何を見た?」

その者の問いかけに、秋山はギョッと目を見開く。

「そうです。暴れ回り、全てを破壊しまくる孫悟空を見て、何を思い、何を感じましたか?」

「どうでしょうね。身勝手、恐怖・・・そして人の闇に潜むもの」

「良くそこに気がつきましたね。そうです、人の闇に潜むもの。貴方の心の中にも、孫悟空は常に存在するのです」

「私の中にも、孫悟空は存在する?」

「そうです。誰の心の中にも、孫悟空は存在します。人間は我欲で目が曇り、そこになかなか気がつけないのです。貴方はそれに気がついた。そこが重要です。これからも、もっと己を知りなさい。それが、貴方の修行ですよ」

「まるで、師匠が弟子をたしなめるような口ぶりですね」

秋山は思わず笑みをこぼす。
その者は、楽しそうに目尻を下げた。

「貴方と話すと、全く飽きませんね」

「そうですか? 私は、このまま貴方に天界に連れて行って欲しいくらいですよ。正直、もうずいぶん前から、ドロドロとした人の世に嫌気がさしてますから」

「まだ、貴方を連れてはいけませんね。その代わり、孫悟空討伐のご褒美に、一つだけ貴方の願いを叶えましょう」

「愚痴を言ってしまって、申し訳ありません。では、お言葉に甘えて一つだけ私のわがままを聞いて下さい。哪吒太子様にお会いになられたら、ご伝言をお願いします。またいつか人間界に戻ってこられたら、コンビを組んで一緒に暴れまわろうと」

秋山は、にっこり微笑む。
その者は、秋山の願いに大きく頷いた。

「分かりました。その伝言は、必ず哪吒に伝えておきます。貴方は、まだまだ人間界で修行を積みなさい。悟空は天界に戻りましたが、八戒と悟浄は、まだ貴方に預けておきます。しっかりと導きなさい」

「えっ、八戒と悟浄?」

「何をそんなに、驚いているのですか? 貴方はすでに彼らを導いているではありませんか」

「僕が彼らを導いている?」

秋山は驚いたように目を丸くする。
その者は、背後から師匠が弟子に見せるような、あたたかい慈悲の眼差しを向けた。

「八戒は、今すでに、貴方のすぐ側にいるではありませんか。悟浄は、一足先に長崎市に戻ったようですね」

「八戒が、今すでに側にいる? 悟浄は長崎市に戻った?」

秋山は、慌てて部下の守口の方へ視線を向ける。
守口は川頭と二人で、倒れている女子高生を抱きかかえようとしていた。

「えっ、まさか・・・そんな馬鹿な」

「やっと、気がつきましたか」

「それって、守口君と、西東警部のことですよね」

その者は、何も答えず、ただニコニコと微笑んでいる。
秋山は、思わず呟いた。

「じゃあ、僕は・・・もしかして、三蔵法師?」

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