烏帽子岳の孫悟空「第四十六話」

烏帽子岳の孫悟空

捜査四日目
平成二十九年九月二十三日、AM8時55分

孫悟空と二郎神の、世紀の対決が始まった。
がっぷり四つに組み合った二体は、まるで相撲をとるように押し合いを続ける。
金色の光に包まれた二郎神と、太陽の光を浴びるたびに、毛並みが黄金に輝く孫悟空。
二体の熱気が、ぶつかり合う。
その姿は、見る者に天下分け目の大一番を連想させた。
二郎神の馬鹿力に、孫悟空はみるみる後ろに押し出される。
巨大な二体が動くたびに、周辺の建物がボロボロに崩れていった。
二郎神が突然、孫悟空の手を払いのけた。
後ろに仰け反る孫悟空の顔面に、二郎神の強烈な張り手がヒットする。
たまらずよろめく孫悟空に、二郎神がすかさず足払いを仕掛けた。

「これ、どっちが優勢なんですかね?」

ホテルロータスハウスの屋上から、世紀の対決を見守っていた守口巡査部長は、まるでプロレスの試合を観戦するように、秋山警部補に問いかけた。

「う~ん、どうなんだろうね。まだ戦いは始まったばかりだからなぁ。二郎神の方が攻め込んでるように見えるけど、孫悟空の方が動きが速いよね。あっ、孫悟空が倒れるぞ!」

二郎神の足払いに、孫悟空の右足が宙に浮く。
孫悟空は残った左足で必死に踏ん張るが、流石に二万トンの巨体を支えきれずバランスを崩す。
巨体がゆっくりと宙を舞い、高層マンションを押しつぶしながら、孫悟空は戸尾交差点に倒れこんだ。
佐世保市内に、爆撃を受けたような騒音が鳴り響く。
五反田刑事が悲鳴をあげる。
地震の直撃を受けたように、八階建のホテルが大きく揺れた。

「五反田ちゃん。あの金の指輪、持ってる?」

戦況を見つめていた秋山が、五反田に話しかけた。
五反田は、慌ててポケットから指輪を取り出す。

「これですよね。ちゃんと持ってます。これ、どうしたら良いですか?」

「その指輪を、太上老君様に返した方が良さそうだな」

「それ、西遊記に出てくる神様ですよね」

「徳安教授の話だと、その指輪は、この二人の戦いの勝敗に大きく関わっていた。とにかく、早く太上老君様に返した方が良いと思う」

「どうやって返すんですか?」

五反田は戸惑いの表情を見せる。
守口が、面白がるように横から軽口を叩いた。

「いっそのこと、天に向かって放り投げてみたらどうかな。ほら、五反田ちゃんって学生時代、ソフトボール部の特待生だったんでしょう」

「そんなんで、天まで返せる訳がないじゃないですか」

五反田は、守口の無責任な発言に口を尖らせる。
横で二人の会話を聞いていた秋山は、ふと考え込むように黙り込んだ。
何か、大切なことを忘れてないか・・・。
指輪は我々の手元にある。
この指輪は元々、太上老君様の持ち物だ。
多分、この指輪がないと、あの孫悟空は止められない。
早く太上老君様にお返ししなくては。
でもどうやって、天界と連絡を取るんだ?
秋山はじっと、五反田の丸い顔を見つめている。
その瞬間、秋山の頭の中で金色の光が輝き出す。
秋山の優しそうな目が、一瞬にして鋭くなった。
そうだ、観音菩薩様は僕にヒントを与えてくれた。
もし指輪を見つけたら、空にかざしてみなさい、と。
今がまさに、その時のような気がする。
どちらにせよ、我々がこのまま金の指輪を持っていても仕方がない。
試してみる価値はあるな。
秋山は、名案を思いついたように手を叩いた。

「そうだ、それだ。それしかない。五反田ちゃん、その指輪を空にかざしてみてくれないか」

「空に向かって、指輪をかざすんですか?」

「そう、指輪を空にかざすんだ。五反田ちゃんの大好きな観音様が夢の中でおっしゃってたんだよ」

「そうなんですか? じゃあ、ちょっとやってみます」

五反田は、指輪をつまみながら、まじまじと見つめる。
指輪を青い空に向かって突き上げると、指輪の輪っかから空を覗きこんだ。
その瞬間、異変が起こった。

「あれ?」

五反田は、思わず声を上げる。

「うひゃ~」

守口も驚いて、訳の分からない寄声を上げる。
秋山はホッとしたように、小さなため息をついた。
五反田は不思議そうに、空にかざしていた右手をおろす。
三人は五反田のぷにぷにとした手を、目を凝らして確認する。
五反田が右手に持っていた金の指輪は、跡形もなく消えてしまっていた。


川頭杏里は、人混みを掻き分けながら、四ヶ街アーケードを早足に突き進む。
日本一長いといわれるアーケードは、沢山の人で埋め尽くされていた。
逃げ遅れた人々が消防隊や警察官に誘導されながら、三ヶ街アーケードに向かって先を急ぐ。
川頭は、皆とは逆行するように四ヶ街アーケードを佐世保駅方面に向かっていた。
巨大な猿が暴れまわっている方角へ向かうのは、とても危険な選択だ。
しかし、それには理由があった。
川頭は、いつも通り朝6時に目覚まし時計のベルの音で目を覚ました。
ベッドから起き上がり洗面台に向かう。
洗顔クリームでしっかりと顔を洗うと、鏡を見ながら時間をかけて歯を磨いた。
川頭の一人暮らしの1DKマンションは、三ヶ街アーケードの近くにある。
高天町にある実家を引っ越したのは、佐世保烏帽子岳署に配属が決まってから。
憧れの一人暮らしは不便な事も多いが、大好きなドーナツを気兼ねなく作れる。
川頭は、毎朝早起きして、大好きなドーナツを焼く。
作ったドーナツを職場に差し入れするのが、楽しみの一つだった。
またみんなに「ドーナツが美味しい」って、喜んでもらえるかな?
川頭は、楽しそうにドーナツの生地をこねる。
今日のドーナツは、秋山警部補の大好きなシナモン入りのドーナツだ。
ドーナツを作り終えると、テレビを見ながら化粧を始めた。
お気に入りのリップを唇に塗っていると、テレビから緊急速報の音が流れてきた。
画面が切り替わり、騒がしい人々の叫び声が聞こえて来る。
川頭は、びっくりしてテレビを覗き込んだ。
佐世保市に、巨大な猿が出現している。
テレビ画面に映る巨大な猿は、小佐世保町から高天町に向けてゆっくりと移動していた。
あっ、多分これ孫悟空だ。
川頭は一人納得する。
図書館で西遊記の本を借りてきた時に、秋山さんがこっそり教えてくれた。
この事件の犯人は孫悟空だ、と。
もちろん、冗談だと思って聞いてたけど。
あの時、秋山さんの目は笑ってなかった。
だから、烏帽子岳のどこかに孫悟空が潜んでいるんだと、心の中で思ってた。
その後、守口さんから雲に乗った猿の写真も見せられたし。
まあ、私が想像していたのとは、ずいぶん違うけれど。
この怪物は、きっと孫悟空に違いない。
孫悟空は、烏帽子岳から南下している。
川頭はテレビ画面に食いつくようにテーブルから身を乗り出した。
あれ・・・これってヤバくない?
私の実家の目の前だ。
川頭は、とっさに立ち上がった。
肩まで伸ばした茶色い髪を後ろで束ね、慌ててパンティストッキングを履く。
婦人警官の制服に着替えると、すぐさまアパートを飛び出した。
三ヶ街アーケードの中は、正月の初売り並みの人混みだ。
川頭は、人混みを掻き分けながら前に進んでいく。
四ヶ街アーケードに入ったところで、警察官と目が合った。
彼らが誘導する方向とは真逆に向かっていたが、警察の制服に着替えていた為、止められる事はなかった。
川頭は、アーケードに隣接する上京町のコンビニから交差点を左に曲がる。
国道35号線の道路に、沢山の車が乗り捨てられていた。
国道を渡ろうと本島交差点の歩道橋を駆け上がる。
歩道橋の上で、川頭は思わず立ち止まった。
孫悟空の姿が見える。
熊のような体型に、茶色の毛並み。
太陽に照らされた毛だけが、金色に輝いている。
どれだけ大きいのだろう?
交差点の角にある五階建てのビルが、凄く小さく見えた。
こんな巨大な生物は、今まで見たことがない。
川頭は、大きな目を丸くしながら、驚きの表情を浮かべていた。
あれ? もう一体いる?
川頭はさらに驚き、思わず右手を口元にそえる。
彼女が驚いた時に、見せるポーズだ。
あれは人間なの?
それとも神様?
川頭は、不思議そうに首をかしげる。
目の前に、巨大な大男が立っていた。
戦国武将のような甲冑を身にまとい、体中が金色の光に包まれている。
巨大な魔人は、孫悟空と相対するように睨み合っていた。
どうやら二体は戦っているみたいだ。
この神様は、どこから現れたのだろう。
川頭は二郎神に興味を示す。
その時、二郎神が攻撃を再開した。
二郎神は右手をぐるぐると回しながら、孫悟空に殴りかかる。
孫悟空は、身軽に二郎神の攻撃をかわす。
素早く背後に回り込んだ孫悟空は、後ろから掴みかかった。
二郎神の首に、毛むくじゃらの腕が絡みつく。
孫悟空は相手を窒息させようと、ぐいぐいと首を締め上げた。
二郎神はたまらず、手をバタつかせながら、もがき苦しむ。
歩道橋の上から二体の戦いをじっと見つめていた川頭は、思わず手をぎゅっと握りしめた。
神様が危ない。
口をアヒルのように尖らせながら、川頭は歩道橋から身を乗り出す。
二郎神は体をくねらせながら、劣勢から抜け出そうと必死に抵抗を繰り返した。
孫悟空が、力任せにどんどん二郎神の首を締め上げる。
二郎神の視界に映る真っ青な空が、徐々にぼやけていく。
息のできない二郎神の動きが、一気に鈍っていった。
孫悟空は敵の弱った姿を確認すると、瞬時に向きをかえ、二郎神に抱き着くように胴体を抱え込んだ。
そのまま一気に抱え上げ腰を締め上げる。
孫悟空の怪力で、二郎神の背骨がどんどんと圧迫されていく。
熊式鯖折りとも呼ばれるこの技は、怪力の相手に一度捕まると、なかなか逃げることが出来ない。
まるで熊の抱擁のようだ。
突然、必死で抵抗する二郎神の手の動きがピタリと止まった。
二郎神はぐったり手をぶら下げ、動かなくなる。
体力を奪われた二郎神は、放心状態となっていた。
調子に乗った孫悟空は、次なる大技を仕掛ける。
なんと!プロレスの大技、ジャーマンスープレックスだ。
孫悟空は、二郎神のバックを取ると巨体を持ち上げ、綺麗な弧を描くように後ろに倒れていく。
空中で虹のようなアーチを作りながら、二郎神は地面に向かって落下していく。
二郎神は受け身も取れぬまま、地面に後頭部を叩きつけられてた。
孫悟空は、綺麗なブリッジを決め海老反りしたまま着地しする。
二郎神の上半身が、四ヶ街アーケードの半分を叩き潰してしまった。
孫悟空の圧倒的な強さに、流石の二郎神も全く歯が立たない。
二郎神が地面に叩き潰された衝撃で、本島交差点の歩道橋が音を立てて崩れだした。

「きゃ~」

歩道橋に立っていた川頭は、思いっきり交差点に投げ出される。
本島交差点は、乗り捨てられた車で埋め尽くされている。
川頭は背中から、車の屋根に落下した。

「助かったぁ」

ホッとため息をついた川頭は、ゆっくりと起き上がる。
空を見上げた川頭は、ハッと我にかえった。
そうだ、私、実家の様子を確認しに行くんだった。
川頭は、制服のタイトスカートをなびかせながら、車の屋根から飛び降りる。
本島交差点を横切ると、実家がある高天町に向かって走り出した。
大の字に伸びてしまった二郎神は、ピクリとも動かない。
体中を覆っていた金色の光が、少しづつ弱まっていく。
孫悟空は素早く起き上がると、二郎神に上から覆いかぶさった。
馬乗りになった孫悟空は、二郎神の顔面を一方的に殴りつける。
鬼の形相の二郎神は、完全に防戦一方となってしまった。

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