烏帽子岳の孫悟空「第四十一話」

烏帽子岳の孫悟空

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捜査四日目
平成二十九年九月二十三日、AM8時21分

宇久島に出張中だった佐世保市防災管理局の豊川拓郎課長は、宿泊先の旅館の布団の上で大きなイビキをかいていた。
ストレス発散のために飲んでいたウイスキーの瓶は、いつのまにか空になっている。
テーブルの上には、食べかけのツマミの袋と、読みかけの推理小説の文庫本が無造作に置かれていた。
宇久島の海面が急上昇はじめてから、二週間が過ぎた。
何の打開策も生み出せないまま、海面は島を飲み込む寸前にまで達している。
緊急事態に対応すべく、責任者として尽力していた豊川の心労はMAXに達していた。
突然、スマートフォンの着信音が鳴り響いた。
豊川は、電話の音に驚いて目を覚ます。
昨夜、一人で飲みすぎたせいか、少し頭が重い。
あれ、もしかして寝過ごしたのかな?
眠そうに目をこすりながら、客室の壁に掛けられた時計に視線を向ける。
時計の針は、朝の8時20分を回っていた。
朝食は、8時30分に予約しているのでまだ大丈夫だ。
ホッとした豊川は、布団に寝そべったまま、着信音が鳴り響くスマートフォンを手に取った。
内間副市長からの着信だ。
豊川は慌てて、電話に出る。
スマートフォンから、聞き慣れた内間の声が聞こえてきた。

「豊川課長。今、電話大丈夫か?」

「はい、全然大丈夫です。何かございましたか?」

「おいおい、まるで他人事だな。まぁ宇久島にいれば、大丈夫なんだろうが・・・」

「朝から悪い冗談はやめて下さい。私も早く佐世保に帰りたいですよ。このまま行けば、今日か明日には島が浸水し始めます。佐世保の方が断然安全ですから」

「君は何を言ってるんだ。もしかして、何も知らないのか?」

内間は、とんちんかんな豊川の返答に、顔をしかめる。
豊川は、内間の言葉に違和感を覚えた。

「えっ、佐世保で何か起こってるんですか。すみません、まだテレビも新聞も見てないものですから」

豊川は、バツの悪そうに寝癖のついたロマンスグレーの髪をかきむしった。

「本当にえらい事になった。もう、佐世保の街はめちゃくちゃだ。テレビをつけてみろ。どこの局でも、この話題で持ちきりだぞ」

スマートフォンから、内間の投げやりな声が聞こえてくる。
豊川は慌てて布団から起き上がると、テレビのリモコンを手に取った。

「なんだこりゃ!」

テレビに映し出された映像を見て、豊川は驚きの声を上げる。
佐世保の街に、巨大な猿が出現し暴れ回っていた。
建物は崩壊し、市民は声を上げながら必死に逃げ回っている。
巨大な猿は、佐世保駅の建物を簡単に踏み潰すと、佐世保駅のホームに停まっていた四両編成の特急みどりを手に取り、おもちゃの様に投げ捨ててしまった。

「この化け物は、いったい何処から現れたんですか?」

豊川は興奮を抑えきれず、声を震わせながら内間に問いかける。
内間は、呆れたように問いに答えた。

「本当に何も知らないんだな。今朝7時30分頃、突如烏帽子岳に現れたんだよ。この調子だと、まだ何も考えられんだろうな。落ち着いたら、一度連絡をくれ。避難経路のアドバイスが欲しい」

内間は、会議がはじまると言い、慌てて電話を切る。
信じられない光景を目にした豊川は、じっとしていられなくなり旅館を飛び出した。
もしかしたら、港から佐世保の街が見えるかもしれない。
豊川は、一目散に港に向かって走り出す。
一瞬、豊川の脳裏に家族の顔が浮かんだ。
家族は無事なんだろうか?
あの化け物は、佐世保駅を壊しまくっていた。
自宅は、佐世保駅から五分くらいのところにある。
早く非難しないと、巻き込まれるぞ。
豊川は走りながら、慌てて妻に電話をかける。
着信を鳴らし続けたが、妻が電話に出る事はなかった。
何故、こんな大変な時に、自分は宇久島にいるんだ。
こういう時こそ、家族の側にいてやりたい。
そして、子供たちを守りたい。
豊川はもどかしい気持ちを抑えながら、港を目指して走り続けた。
島民たちの姿はどこにも見当たらない。
皆、テレビのニュースに釘付けになっているのだろう。
大混乱におちいっている佐世保市とは対照的に、宇久島の街はいつもと変わらずのどかなままだった。
豊島は宇久の港から、佐世保市の方向へ視線を向ける。
当たり前だが、佐世保の街も巨大な猿の姿も、ここから見えるはずがない。
宇久島から佐世保市までは、60キロも離れているのだ。
しかし次の瞬間、豊川は驚きの光景を目にする。
なんと、港と海の境目が完全に無くなっていたのだ。
目の前の穏やかな海は、異常なほどに海面が浮き上がっている。
小さな波が押し寄せるたびに、埋め立てられた港のコンクリートを濡らし続けていた。
この島が海に飲み込まれてしまうのも、もう時間の問題だ。
何も出来なかった。
自分は、この島の島民たちを救うために、宇久島に派遣されたのだ。
やはり、もっと早く島民を島からの避難させるべきだった。
島民との話し合いは、平行線をたどったままだ。
今の自分に、一体何ができるのだろう。
豊川は途方に暮れながら、海のかなたを見つめる。
もう無理だな。
ゲームオーバーだ。
豊川は、ガックリと肩を落とした。


豊川は、港を後にすると旅館までの真っすぐな一本道を、トボトボと歩いて行く。
ふと、広い駐車場の入り口にスーツを着た二人の男性の姿が目に入った。
その先にある祠の前では、少女がしゃがみこんで手を合わせている。
確か旅館の女将の話では、この祠には、西遊記に出てくる顕聖二郎真君という神様が祀られているらしい。
聞いたことのない神様だったが、観音菩薩の指示で、天界を暴れ回る孫悟空を捕まえたのが、この二郎神との事。
そして不思議なことに、旅人は皆、この祠の存在に気が付かず素通りしてしまうと言う。
あのふくよかな体格の女将が、首を傾げていた姿を思い出す。
その祠の前で、男達は少女の祈る姿を、黙って眺めていた。
豊川は男性の一人に声をかけた。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが、いったいここで何をなさってるのですか?」

豊川は、人懐っこい表情で話しかける。
男達は、怪訝そうに豊川の顔を睨みつける。
豊川は、慌てて身分を名乗った。

「私は、佐世保市防災危機管理局の豊川と言います。出張でこの島に良く来るのですが、この祠をお参りする方を、初めてお見受けしたものですから」

豊川の言葉に男は小さく頷くと、鋭い目つきを隠すように目じりを緩めた。

「私は、長崎県警本部警捜査一課の小島です。こちらは三村警部。実は少女を護衛中なんですがね。昨夜から、彼女がここを動かないもんで、困ってるんですよ」

小島は、苦笑いを浮かべながら、煙草に火をつける。
三村と紹介された警部は、ポケットに両手を突っ込んだまま豊川に軽く一礼すると、めんどくさそうに少女の方へ視線を戻した。

「それで豊川さんは、いったい何の出張でこの島に?」

小島は煙草をふかしながら、不思議そうに問いかける。
豊川は現在、島が置かれている状況を、丁寧に説明した。

「マジですか。それは不味いですね」

小島は、驚いたように顔をしかめる。
豊川は、困り果てた表情をうかべ、大きく頷いた。
豊川はふと、県警本部の捜査一課の刑事たちが、こんなところで何をしているのかと疑問を持った。
県警本部の捜査一課と言えば、県警のエリート集団。
彼らは、かなり優秀な刑事のはずだ。
その二人が、高校生くらいの少女の護衛についている。
この少女は、隠密で動いている皇族か何かのご子息なのか?
豊川は、興味津々に奥の少女の方を覗き込もうとする。
三村警部が、その豊川の視線を遮るように、少女の前に立ちふさがった。

「豊川さん。我々にも色々と事情がありましてね。これ以上関わるのは、ご遠慮いただきたい」

「あっ、これは任務中に失礼しました。私も、ついつい出過ぎた真似をしてしまいまして。お邪魔でしょうから、そろそろ失礼いたします」

豊川は、慌ててその場を立ち去ろうとする。
その時、豊川の耳に、違和感のある雑音が聞こえてきた。
水の音のような気がする・・・。
いったい、何の音だ?
滝の水が増えていくように、水の音はどんどん激しさを増していく。
豊川は、思わず小島刑事と目を合わせた。
その瞬間、港の方を見つめていた、三村警部の顔色が突然変わった。

「あれは・・・」

三村の言葉に、小島と豊川も港の方へ視線を移す。

「そんな馬鹿な」

豊川は、思わず目を丸くした。
見慣れた宇久島の海の景色が一変している。
小島が怯みながら、一歩後ろへ後退りする。

「ヤバい、津波に飲み込まれるぞ」

三村は素早く少女の手を取ると、高台に向かって走り出した。
小島も遅れて、走り出す。
豊川は、その場に立ちすくんだまま、驚きの光景に目を奪われていた。
前方の海が大きな水音を立てて、どんどん盛り上がっていく。
せり上がった真っ青な海が、波の形に変化しはじめた。
波はみるみる巨大化していく。
津波だ・・・。
しかしこんな巨大な波は、今まで見たことがない。
豊川は呆気に取られる。
宇久島に、驚く程の大津波が、凄いスピードで迫っていた。

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