烏帽子岳の孫悟空「第四十話」

捜査四日目
平成二十九年九月二十三日、AM8時15分

陸上自衛隊西部方面混成団長の彬原嘉章一等陸佐は、相浦駐屯基地の司令官室で朝のニュース番組に釘付けになっていた。
テレビ画面には、信じられない光景が繰り広げられている。
佐世保市内を巨大な猿の怪物が、暴れまわっていた。
建物が次々に壊されていく。
烏帽子岳に現れた巨大生物は、山を下りると佐世保市内の中心部に向かって歩行を続けていた。
部下の坂下副長が、慌てて司令官室に入ってくる。
彬原は毅然とした態度で、部下に声をかけた。

「偵察ヘリから、新しい情報は入ったか?」

「いえ、新しい情報はまだです。先に届いた情報をもとに、巨大生物の分析をさせました。全長は、体長四十メートル、重さは推定二万トン。巨大な猿のような怪物としか解っておりません。現在、烏帽子岳から佐世保市の繁華街に向けて移動中。進路は不明。海上自衛隊佐世保地方総監部、米海軍佐世保基地付近を通過する可能性六十八パーセント。我々陸上自衛隊相浦駐屯地付近を通過する可能性は、現在三十三パーセントです。海上自衛隊総監部付近への到達予定時刻は、最短で8時30分ごろと推測されます。以上を政府に報告済です」

「あとは、政府からの指示待ちという事か・・・」

「早く手を打たないと、このままでは佐世保市内は壊滅の危機に突入しますね」

「我々が直接手を下すには、少なくとも害虫駆除の名目がいる。今、首相官邸で緊急会議が開かれているが、そこで対処方針を決めてもらわない事には、動きようがない」

「まさか、あの化け物を捕獲なんて指示が出ないでしょうね」

坂下は不安気な表情を浮かべる。
彬原は顔をしかめながら、部下の問いに答えた。

「多分それはないだろう。相手は四十メートル級の怪物だ。捕獲したところでどうにもならん。それよりも政府は、我々自衛隊に防衛出動の指示を出せるのか。武力行使命令は戦後一度も行われていない」

「そんな事を言ってる場合じゃないことは、流石に政府も解っているでしょう。このままじゃ、佐世保市は瓦礫の山ですよ」

「今までに前例がない・・・それが政府が二の足を踏む一番の理由になるだろうな。我々もそうだが、手続きでがんじがらめのお役所の仕事なんて、何時もそんなもんだろう」

「しかし、これは戦後はじまって以来の緊急事態ですよ」

部下の坂下が、声を荒げる。
彬原は、落ち着いた声で部下に指示を出した。

「今、出遅れれば出遅れるほど、被害がどんどん大きくなる。それだけは避けたい。各部隊にどんな指示が出ても対応できるように、準備をさせておけ」

彬原の指示を受けた坂下は、すぐに部屋を飛び出していく。
部下の後姿を見送った彬原は、テレビ画面に視線を戻した。
巨大な猿は家屋を踏みつぶしながら、高天町にある八階建てのビルに近づいていく。
怪物は隣接する個人病院を踏み潰すと、抱き着くようにホテルビブロスと書かれた青いビルにしがみついた。
築四十年を超えた老舗のビジネスホテルは、巨大な猿の腕の中で、バキバキと悲鳴のような音をたて始める。
建物に次々と亀裂が入っていく。
四十年の歴史を刻み込んだ古い八階建てのホテルは、巨大な猿の怪力に耐え切れず、あっという間に崩れおちた。
巨大な猿は、次のターゲットを佐世保市体育文化館に定めた。
怪物は、何を思ったのか突然巨体を屈めてしゃがみこんだ。
手を伸ばし、体育文化館の敷地に植えてある大木を次々に引っこ抜いては、放り投げる。
怪物は、遊んでいるのだ。
テレビ画面に映る猿の映像を見ながら、彬原はぞっとする。
この怪物には、知能があるのか。
不味いことになったぞ。
巨大な猿は、ゆっくりと立ちあがると、体育館の建物の方へ近づいていく。
怪物は、邪魔な障害物を軽く払いのける様に片足で体育文化館を蹴り上げると、自分の力を鼓舞するかの様に大きな雄叫びを上げた。
彬原は息を飲み込みながら、じっとテレビ画面を睨みつけていた。
これは、まるで特撮映画のワンシーンを見ているみたいだ。
まだ政府から連絡はない。
もう半ば諦めているが、多分我々の出番は、相当遅れる事になるだろう。
米軍は既に出撃態勢に入っているはずだ。
レッドラインを超えた途端、基地防衛を名目に、戦闘機が攻撃を仕掛けるに違いない。
上から指示さえ出れば、我々も何時でも出撃可能なんだが・・・。
このままでは、確実に米軍に先を越されてしまうな。
彬原は、深いため息をついた。


佐世保市長の飯島万次郎は、佐世保市役所の十三階の窓から巨大な猿の姿を見つめていた。
最上階から眺める景色は、普段の穏やかな風景とは程遠い。
佐世保の街は、大混乱に陥っていた。
通勤ラッシュの時間帯という事もあり、交通量はピークを迎えている。
佐世保市内を横断する国道三十五号線は、全六車線共に、乗り捨てられた車で長蛇の列となっていた。
道路脇の歩道は避難場所に向かう大勢の市民たちで溢れかえり、一斉に大野方面に向かって走り去っていく。
飯島はイラつきながら、横に立っている副市長の内間に話かけた。

「まだ、政府は自衛隊に出動命令を出してないのか?」

「自衛隊に動きは無い模様です」

「何をグズグズしてるんだ。このままじゃ、佐世保の街は崩壊してしまうぞ。国はこういう時に、全く当てにならんじゃないか。ここは、大川内防衛大臣の地元だぞ。大川内大臣は何をやってるんだ」

「大臣も動いてくれてるとは思うのですが、やはり前例がない案件なので・・・」

「前例も糞もあるか。地元最優先に動いてもらわんと困る」

「市長、これから緊急会議が始まります。早く会議室に移動しましょう」

最上階の窓から、暴れまわる巨大な猿の姿が見える。
二人は急いで、エレベーターに乗り込こんだ。

「市民の避難状況はどうなってる?」

「防災マニュアルで、緊急時の避難場所は指定しているのですが、あれは地震や津波に対応したものなので・・・それが今回のケースにあてはまるかどうか」

内間は困惑な表情を浮かべながら、飯島の問いに答える。
飯島は顔をしかめながら、声を荒げた。

「そんなもの、何時も機能しないじゃないか!とにかく、大至急対応を考えなきゃならん。防災危機管理局の豊川課長は、もう出勤してるのか?彼を呼んでくれ。こういう時は、彼が一番頼りになる」

「豊川課長は、現在宇久島に出張中です」

「彼は佐世保にいないのか。なぜこんな大事な時に、あんな有望な人材を宇久島に行かせてるんだ?」

「いや、宇久島も海面が急上昇しておりまして、島民をどう避難させるかの話し合いに・・・」

「もういい。どいつもこいつも、本当にあてにならんな」

飯島は、防災のスペシャリストの不在にがっくり肩を落とす。
内間は、申し訳なさそうに顔を背けた。
エレベーターが、会議室のある三階で止まる。
二人は足早に会議室に向かった。
会議室では、大勢の職員たちがあたふたと動き回っている。
飯島は、準備されていた席に着席すると、ポケットからスマートフォンを取り出した。

「市長、どちらにおご連絡されるんですか?」

内間は、隣の席から不安そうに口を挟む。
飯島は、内間の顔を睨みつけながら、不機嫌そうに問いに答えた。

「私が大川内防衛大臣に、直接連絡を入れる。国の対応を待ってても、埒が明かん。とにかく市民を安全な場所に避難させて、自衛隊にあの化け物を駆除してもらうしか方法はない。内間君は、宇久島の豊川課長に連絡して、避難経路のアドバイスを貰ってくれ」

「承知致しました。豊川課長に連絡を入れます」

内間は、すぐに出張中の豊川課長に連絡を入れる。
スマートホンから、眠たそうな豊川の声が聞こえてきた。

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