烏帽子岳の孫悟空「第三十九話」

烏帽子岳の孫悟空

捜査四日目
平成二十九年九月二十三日、AM7時45分

佐世保烏帽子岳署に到着した秋山警部補は、大急ぎで署内に駆け込む。
夜勤勤務の担当だった田嶋真和巡査は、朝から事務所のテレビ画面に映し出されている巨大な猿の映像に釘付けになっていた。

「あっ、お疲れ様です。凄いことになってますね。大丈夫でしたか?」

田島はいつものひょうひょうとした態度で、秋山達を迎え入れる。
守口巡査部長と五反田刑事も遅れて事務所に入ってきた。
署内に戻ってきたばかりの山内巡査が、コーヒーメーカーに保温されていた熱い珈琲を、手際よくマグカップに注いでいく。
まだ受付担当の川頭杏里が出勤していない為、手作りのドーナツは準備されていなかった。

「田嶋さん、どんな感じですか? テレビでは何て報道されてます?」

山内が、焦りながら田嶋に話しかける。
守口は、興奮した山内の姿をチラッと横目に見ながら、熱い珈琲に口をつけた。

「巨大な猿が、市内を壊しまくってるね。これ、かなりヤバイんじゃない」

「僕は間近で見てきましたからね。もう、デカすぎてめちゃくちゃ怖かったですよ」

「ふ〜ん。そうなんだ。まぁ、何とかなるやろ」

山内は、楽観的な田嶋の答えにムッとした表情を浮かべながら、テレビ画面に視線を戻す。
守口は珈琲を飲み終えると、じっとテレビ画面を見つめていた秋山に声をかけた。

「秋山さん、これどうやって決着つけるつもりですか? この事件、もう僕らの手が追えないところまでいっちゃってるような気がするんですけど」

「そうなんだよなぁ。だいたい相手が孫悟空ってだけでも、こっちはどうかと思ってたのに。流石にここまで大きいと、警察じゃなくて自衛隊の出番って感じだよね」

「なんか、怪獣映画を見てるみたいですもんね。自衛隊対孫悟空てきな」

守口は苦笑いを浮かべながら、いつもの軽口を飛ばす。
秋山は守口の軽口を聞き流しながら、スーツのポケットから森吉祐子の手紙を取り出すと、守口に手渡した。

「何ですか、これ?」

手紙を受け取った守口は、不思議そうに文面に目を通した。
守口の目つきがだんだん変わっていく。
守口は、慌てて五反田に声をかけ手紙を読むように促した。

「秋山さん、この手紙の内容が本当なら、人間の力ではどうしようもないじゃないですか。自衛隊が総攻撃をかけても、絶対にあの化け物は倒せませんよ」

「だから、森吉祐子を三村警部に預けたんだよ。あの人は信用出来るからね」

「あっ、やっぱり森吉祐子の失踪は、秋山さんのシナリオだったんですね。怪しいと思ってたんですよ。でも、これで彼女唯一の頼みの綱って事になりますね」

「いや、あともう一人、最後の切り札になりそうなのがいるんだけどなぁ」

秋山は、五反田の方へ視線を向ける。
五反田は祐子の残した手紙を、必死に読み返していた。
朝のワイドショーは、ひたすら佐世保市内を暴れまわる巨大な猿の映像を映し出している。
テレビ画面に食らいついていた秋山が、突然立ち上がった。

「守口君、五反田ちゃん、山を下るぞ。こんな所で高みの見物をしている場合じゃない」

秋山は二人の部下に声をかけると、急いで事務所を飛び出していく。
守口と五反田は、顔を見合わせると、慌てて席を立った。

「秋山さん、待ってください。こんな時に僕らが現場に駆けつけても、何の力にもなりませんって。あの怪物に踏みつぶされてお釈迦にされるのがオチですよ」

守口は顔を強張らせながら、秋山に話かける。
秋山は運転席のドアを開けながら、守口の問いに答えた。

「いや、こんな時だからこそ、現場に向かうんだよ。あの怪物の弱点を探るんだ」

秋山の問いに、守口は絶句する。
五反田は秋山の目を力強く見つめながら、口を開いた。

「秋山さん、何か秘策でもあるんですか」

「いや、ここで黙って待機してても、何も前に進まないってことさ。諦めた時にすべては終わる。諦めなければ、必ず道は開ける」

「それはそうですけど・・・」

五反田は、困惑した表情を浮かべながら、後部座席に乗り込む。
エンジンをかけた秋山は、ズボンのポケットから金の指輪を取り出し五反田に手渡した。

「五反田ちゃん、君にこれを預ける。森吉祐子が発見されたときに、右手に握りしめていた指輪だ」

「ちょっと! そんなもの、どこで手に入れたんですか?」

助手席に座っていた守口が、驚きの声を上げる。
秋山は、得意げに微笑んだ。

「柚原慶子が消えてしまう瞬間、地面に落としていったのを拾ったんだよ。五反田ちゃん、この指輪を絶対に指にはめるなよ。そして無くさないように。この指輪は事件解決の鍵を握っているような気がする」

秋山の優しそうな目が、一瞬鋭くなる。
五反田は、大きな目をパチクリとさせながら、大きく頷いた。



朝から緊急連絡を受けた長崎県警本部捜査一課課長の杉本新は、緊急幹部会議に出席する為、通常の出勤時間より早く、午前8時前に県警本部に到着した。
何時も不機嫌そうな杉本の顔が、より一層と気難しく見える。
若い守口や五反田たちが、震え上がるレベルだ。
杉本はいつにも増して、眉間に深いシワを寄せていた。
部下達は皆、佐世保市で起こった女子高生失踪事件の捜査に派遣されている。
捜査一課のデスクはもぬけの殻だ。
普段なら、秋山や守口たちのうるさい笑い声が聞こえてくるのだが、事務所の中はしんと静まり返っている。
唯一、警視総監直々の指示で捜査を外された西東警部が、佐世保市から戻って来ていた。

「西東警部、これを見てどう思う」

杉本は、ノートパソコンに映し出されている巨大な猿の映像を指差し、西東警部に話しかける。
西東は、困り果てたように顔をしかめた。

「いや、これはどう見ても怪獣ですよね」

「秋山の奴、どうするつもりだ。彼奴は、孫悟空が犯人だとか訳の解らんこと言ってたが・・・。こんな馬鹿デカいのが出でくるなんて、一つも聞いてないぞ」

「いや、課長。これは孫悟空と言うより、キングコングですよ。秋山さん、えらい奴を引きずりだしてしまいましたね。佐世保の状況も酷そうですし、みんな大丈夫なんでしょうか? あと、三村警部とは、まだ連絡取れてないんですかね?」

「秋山達は大丈夫だ。彼らは今、烏帽子岳署に避難している。三村から連絡はないが、そっちも大丈夫だ。あれは、失踪したフリをしてるだけだからな」

「えっ、失踪したフリ? 三村警部はいったい何処にいるんですか?」

西東は驚いたように目を丸くする。
杉本は、不機嫌そうに西東を睨みつけた。

「宇久島だ。森吉祐子をあそこで匿ってる。あれは秋山の揺動作戦だ。秋山はまだ、一発逆転を狙ってる。しかし、こうなってしまっては一発逆転も糞もないわな」

「宇久島に何かあるんですかね?」

「俺には解らん。秋山の話は到底理解できん。しかし三村が動いたということは、確かに何かがあるんだろう。あれは秋山と違って、直感だのひらめきなどでは、簡単に動かないタイプだからな」

「それはそうですけど、ちょっと気になりますね」

「西東警部、あんたは遅かれ速かれ部下を率いて現場を統率する立場になる。しかもエリートだから、現場の経験もろくに積めぬまま、指揮を取らなきゃいかん。まだ理解出来んかもしれんが、俺はいつも部下を信じている。我々指揮官には、部下に現場を任せる度量も必要だ。それがないと、いざという時に決断も出来んし、部下も育たん。あとは秋山と三村に任せるしかない」

杉本はまだ若い西東を諭しながら、壁にかけられた時計に視線を送る。
時刻は午前8時13分。
そろそろ、緊急会議の時間だ。
今は、秋山の作戦に賭けるしかないが、この報告は会議では封印しておこう。
こんな話を信じる者など誰もいない。
警察の上層部なんて、頭の固い連中ばかりだ。
ん、待てよ。
俺も奴らと同じで、頭は固いはずだが・・・。
いつから、こんな柔軟になったんだろう?。
そうか、秋山のせいだ。
四十八歳の頃、秋山を部下に持った。
あれから七年が過ぎている。
七年間も秋山と一緒にいると、摩訶不思議な出来事が、いつの間にか現実的に思えてしまう。
結局、俺も秋山も、馬鹿なのかもしれない。
杉本は、珍しく口元を緩めた。

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片や1980年代、高度成長著しいバブル絶頂の大分市。中学二年生の卓也は、仲間たちに囲まれ、楽しい学校生活を過ごしていた。そんなある日、彼は幼馴染の部屋で衝撃的な場面を覗き見ることになる。
二つの物語が重なり合う時、この物語は驚愕のラストを迎える。

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