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烏帽子岳の孫悟空「第二十九話」

烏帽子岳の孫悟空

捜査三日目
平成二十九年九月二十二日、PM13時15分

「う〜ん、これは困ったことになったなぁ」

秋山警部補は、守口巡査部長から手渡された雲の写真を眺めながら、顔をしかめる。

アルカス佐世保から烏帽子岳署へ一緒に戻ってきた五反田刑事も、驚いたように目を丸くしながら、写真の画像に釘付けになっていた。

真っ青な空の上に、もくもくとした小さな雲がポツンと一つ浮かんでいる。

その雲の上に、一匹の猿が、まるでサーフィンでもするように、ちょこんと立っているのである。

猿が下を覗き込むように、空から地上を眺めている姿は、いかにも滑稽にみえた。

「秋山さん、これ絶対に猿ですよね。猿が雲の上に乗ってますよね」

守口は、半泣き状態になりながら秋山に問いかける。

秋山は二人の部下を落ち着かせようと、ゆっくりとした口調で語りかけた。

「猿だね、これは。確かに猿以外の何者でもない。電話で報告を受けた時は、流石にどうかと思ったけど、この写真を見せられると認めざる
を得ないな。ここで猿の存在を否定しあってもしょうがないだろう。これは猿だ。ほら、孫悟空だって筋斗雲に乗って空を飛ぶんだから」

「何を言ってるんですか。あれは作り話でしょう。もっと他にないんですが、気の利いたコメントが」

守口は、口を尖らせながら異を唱える。

秋山は、呆れたように顔を曇らせた。

「だって現に猿が雲に乗って、空を飛んでるじゃないか」

「でもですね、肉眼では雲の上に猿は乗ってなかったんですよ。写真にだけ映りこんでるんです。これ、もしかして心霊写真とかじゃないですか?」

「猿の心霊写真? そんなの、聞いた事ないなぁ。それより、現実的に雲に乗った猿がいるって方が、納得できる」

秋山の顔が真顔になる。

守口は思わず黙り込んだ。

「実は、僕も二日前に、これと似たような形の雲を目撃している。捜査初日、烏帽子岳署に到着した時だ。それから、ずっと誰かに監視されているような気配を感じ続けている。多分、この雲に乗った猿が関係してると思うんだ」

「そんなの、気のせいですって。いくらなんでも、孫悟空はこの世には実在しいないでしょう。それより、この写真を科捜研に送ってみましょうよ。西副所長なら、もっと納得できる鑑定結果を出してくれるかもしれない。ん、あれ? 五反田ちゃんどうしたの?」

五反田の顔つきが変わっている。

守口は、軽口を叩くのを止めた。

疑心行脚な表情を浮かべながら、五反田は重たそうな口を開いた。

「この写真を見てたら、さっき徳安教授が話してた美猴憑きの話が、本当の事のように思えてきました。正直言うと、ここに戻ってくるまでは信じてなかったんですが・・・」

「えっ、そうなの? そういえばどんな話だったんですか、美猴憑きの話って?」

守口は、思い出したように秋山の方へ視線を向けた。

会議室の中は、ドーナツの甘い香りが漂っている。

テーブルの皿の上には、川頭杏里の手作りのシナモンドーナツが、てんこ盛りに積み上げられていた。

秋山はドーナツを片手に熱々の珈琲を口にしながら、午前中に徳安教授から得た美猴憑きの情報を、思い出すように語りだした。

「徳安教授の話では、美猴憑きとは古くから伝わる民間信仰のようなものらしい。烏帽子岳には猿岩がある。昔の人々はその猿岩を孫悟空、いや美猴王と呼び、山に災いが起こると、猿岩の美猴王が悪さしたのだと恐れた。その美猴王を封印する役目を先祖代々負っていたのが、大川内一族だった。と、これが一般的に伝わっている話なんだけどね」

「なにか、裏があるんですね」

「守口君、なかなか鋭くなったね。その通り、この話には裏がある。大川内家は、この美猴憑きを引き受けることと引き換えに、莫大な力を得ていた。その力を使って、事業をどんどん拡大し、政界にも進出したというのが、徳安教授の見解だよ」

「ひえ~。すごいですね。まぁ大川内家は、政治家どころか防衛大臣まで輩出してますからね。今や国を動かす権力を持ってますよ。それで、その莫大な力って何なんですか?」

守口は興味津々に秋山の顔を覗き込む。

秋山は、椅子から立ち上がると会議室の窓を開け、空を見上げた。

真っ青な空に、雲は一つも見当たらない。

どうやら、今は監視されて似ようだ。

秋山は、五反田に空の様子を見ておくように指示を出し、守口の問いに答えた。

「美猴王の魔力だよ」

「魔力? そんなのありですか。だって、孫悟空ってお釈迦様に封印されてしまうわけでしょう。それなのに、どうしてお釈迦様に肩入れしている大川内一族に、孫悟空が力を貸すんですか? 孫悟空からしたら、憎き敵でしょうに」

「生贄を差し出すんだよ」

「えっ、生贄ですか」

「大川内家は家長が代替わりするたびに、飛び切りの美女を選び、生贄として差し出すという契約を美猴王と結んでいる」

「もしかして、生きたままの人間をお供えするんですか?」

「そういう事になるね。その見返りとして、美猴王は自分の魔力を使い一族の繁栄に力を貸す。そうやって、この一族はどんどん繁栄してきたらしい」

「いや、これ・・・本当の話なら、マジでえぐいですよ」

守口は深いため息をつきながら、雲の写真を手に取る。

五反田は、二人の話に聞き耳をたてながら、じっと窓の外の様子をうかがっていた。

「あれ、でもちょっと待ってください。これって、話が矛盾してますよね。大川内家はキリスト教徒でしょう。運営してる学校もミッションスクールですし。途中で、宗教を変えたってことですか?」

「そうなんだよ。もちろん、それにもちゃんと理由がある。大川内家は、大川内防衛大臣の祖父の代から、政治の世界に進出してるんだけど、それまでは仏教徒だったんだ。でも、やっぱり美猴憑きって、当時からイメージが良くなかったみたいでね。選挙に立候補するにあたり、キリスト教に回心することで、このイメージを封印してしまったんだね」

「なるほど。表向きはキリスト教徒をうたい、裏では美猴憑きを行う。ということは、今でも大川内家は美猴憑きの一族であるという事ですね」

「そういう事になるね」

秋山は、テーブルの上のマグカップに手を伸ばす。

冷めはじめた珈琲は、ちょうど飲みやすい温度になっていた。

「えっと、それで生贄にされた女性たちは、その後どうなるんですか?」
守口は不思議そうな顔を浮かべながら、シナモンパウダーがたっぷりかかったドーナツに手を伸ばす。
秋山は、一瞬窓の外に目をやると、声のトーンを落とし守口の問いに答えた。

「消えてしまうらしい」

「消えてしまう?」

「そう、跡形もなく。まるで、神隠しにあったように」

「それって、まるで行方不明になった塩田はるかと大林涼子みたいじゃないですか」

「そうだよね。まだ、断定はできないけど、あの二人の女子高生が生贄にされた可能性は高い」

「いや、これって現実の話と仮定すると、全く洒落になりませんよ。でも仮に美猴憑きの儀式が本当に行われていたとして、こんな話を県警本部が信じてくれますかね」

守口はドーナツを片手に、口をもぐもぐとさせながら、秋山に問いかける。

秋山は意味ありげな表情を浮かべながら、スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出した。

杉本課長に報告してみるか。

こんな話をしたら、一気に不機嫌になるだろうな。

しかし、捜査の突破口はこれしかない。

課長には、嫌でも納得して貰もらわないと困る。

この雲に乗った猿の写真は、喜一郎先輩に頼んで、取り敢えず科捜研で調べてもらおう。

この猿が実在する根拠が欲しい。

指輪の件はどうなったかな。

僕の直感が当たってれば、ヒロさんが思いつきで一発逆転のネタを掴んでるはずだ。

そろそろ、杏ちゃんに頼んでおいた例の本を持ってきてもらうか。

少しは目を通す時間もあるだろう。

材料が全て揃えば、残るは大川内家に一か八かの勝負を仕掛けるだけだ。

あとは、野となれ山となれ。

秋山は、心の中でニヤリと微笑んだ。

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やまの みき (著)
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