烏帽子岳の孫悟空「第三十話」

烏帽子岳の孫悟空

捜査三日目
平成二十九年九月二十二日、PM14時01分

「あれ、秋山さん、何を読んでるんですか?」

烏帽子岳署の会議室に入ってきた五反田は、秋山に話しかける。

熱心に本の頁をめくっていた秋山は、五反田の方へ顔を向けた。

「お帰り。佐世保署から盗聴器借りてきた? あと、例の写真、ちゃんと科捜研に送ってくれたかな?」

「バッチリですよ。盗聴器とレシーバーにイアホンも借りてきました。写真の方は、画像データをメールに添付して科捜研に送ってます。西副署長から、調査を開始するとの返信メールも届いてます。でも、盗聴器って、いったい何に使うんですか?」

「三村警部が担当する護衛部隊が使うんだよ」

「そうなんですね。直ぐに使えるように、事前に設定してもらってきました。作動も確認済みです」

五反田は得意げに報告を済ませると、秋山が手にしていた分厚い本の表紙に目を向ける。

どうやら、西遊記の書籍のようだ。

「あっ、これ孫悟空の本じゃないですか。そんな本、どこで手に入れたんですか?」

「杏ちゃんにお願いして、図書館で借りてきてもらったんだ。行方不明の塩田はるかと大林涼子が図書館で読み漁っていた本だよ」

秋山は本を閉じると、疲れた目をいたわるように、人さし指でまぶたを押さえた。

「それで、何か事件の手がかりは見つかりましたか?」

「手がかりなんて、そう簡単に見つからないよ。まぁ、孫悟空のことは詳しくなったね」

秋山はにっこり微笑むと、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

「五反田ちゃん、そろそろ事件が動き出すぞ。一つだけ、今回のような摩訶不思議な事件を担当するときのコツを伝授しよう。こういう時は、捜査を楽しむのが一番だ」

「捜査を楽しむ?」

五反田は、困惑した表情を浮かべる。

秋山が頷きかけた瞬間、会議室のドアが開いた。

守口が慌てて、部屋に入ってくる。

秋山は、興奮した様子の守口を茶化すように声をかけた。

「守口君どうしたの。そんなに慌てちゃって」

「いやいや、大変なんですよ。今、南佐世保総合病院で護衛についてた内海巡査から連絡がありました。森吉祐子が記憶を取り戻したそうです」

「ついに記憶が戻ったか」

「そうなんですよ。それでですね、彼女は秋山さんに面会を求めています」

守口の言葉に、秋山の優しそうな目が一瞬だけ鋭くなる。

五反田は驚いたように、目を見開いた。

「五反田ちゃん、さっき僕が話してた通りだろう。事件が動き出してるんだよ。いいか、二人とも捜査を楽しむんだ。この事件の闇は深い。心に楽しむくらいの余裕がないと、暗闇に飲み込まれてしまうぞ」

秋山は二人の部下に喝を入れるように、声を張り上げた。


南佐世保中央病院に到着した秋山たち三人は、急ぎ足で森吉祐子の病室がある五階西病棟を目指す。

待合所で診察を待つ患者たちを横目にエレベーターに乗り込んだ秋山は、小さな段ボール箱を抱えた五反田に声をかけた。

「五反田ちゃん、早速だけど準備してきた盗聴器を使おう」

「盗聴器の出番ですね。任せて下さい!」

五反田は嬉しそうに箱の中をのぞきこむ。

エレベーターの中で、守口は秋山に問いかけた。

「ここは腕の見せどころですね。秋山さん一人で面会しますか?」

「うん、僕一人で行く。直々のご指名だからね。美人なんだよな、この子」

「あっ、やっぱり、そうでしたか。いつも自分ばっかり良い思いして、ズルいですよ」

守口は、悔しそうに口を尖らせた。

五階西病棟の通路では、出張先の福岡から佐世保に到着したばかりの三村警部と小島警部補の二人が、護衛担当の内海巡査と話し込んでいた。

「おっ、秋卓。よくもやってくれたな」

秋山たちの姿に気がついた小島は、呆れた様に苦笑いを浮かべながら不満を口にする。

秋山は、すまなそうに小島に向かって手を合わせると、三村警部に敬礼のポーズを取った。

「三村警部、申し訳ありません。無理を承知で、杉本課長にご相談させて頂きました。なんせ、現場がてんやわんやなもんで」

「課長から話は聞いてる。それに俺たちが護衛する女の子も、どうやら記憶を取り戻したようだね」

「そうなんです。僕が今から話を聞いてきますので、とりあえず、ここで待っていて下さい。僕のジャケットに盗聴器を仕掛けてます。イヤホンで彼女の話を一緒に確認して下さい」

秋山の言葉に、三村は大きく頷く。

五反田は準備してきたイヤホンとレシーバーを段ボール箱から取り出すと、刑事たちに素早く手渡した。

「あと、この写真を見て欲しいんです。今日、守口君が烏帽子岳署の会議室の窓から撮影したものです」

秋山は内ポケットから封筒を取り出すと、中から写真を取り出し、三村に手渡した。

イヤホンを耳にあてながら写真に目を通していた三村の顔が、一瞬強張る。

三村は顔をしかめたまま、守口を睨みつけた。

守口は「ひぇっ」と小さな悲鳴をあげる。

横から写真を覗き込んだ小島も、雲の上に乗った猿の姿に目を丸くしながら驚いていた。

「守口くん、これ本当に君が撮影したの?」

「しました、しました。僕がちゃんと撮影しました。もう、驚いたのなんのって。いや、マジですから。悪ふざけとかじゃないですから」

「あのさぁ、これは誰がどう見ても悪ふざけでしかないでしょ」

「あのですね、西東警部も一緒だったんですよ。あの人、こんな悪ふざけするタイプじゃないでしょう」

疑いの目を向ける三村に対して、守口はしどろもどろになる。

三村は訝しげな表情を浮かべながら、小さなため息をついた。

「ただでさえ出張明けにムチャぶりされて、疲れてるんだからさ。そこら辺のところは、守口君も大人なんだから、ちゃんと解ってるんでしょ」

「いやいや、だからこれはですね・・・」

当時の状況を説明しはじめた守口を横目に、五反田もイヤホンを耳に忍ばせる。

秋山は、全員がイヤホンを装着したことを確認すると、森吉祐子の病室のドアを軽く叩いた。

秋山は、優しく声をかける。

「どうぞ」

部屋の中から、返事が返ってきた。

森吉祐子の声だ。

祐子の大人びた美しい顔が目に浮かぶ。

秋山は思わず、苦笑いを浮かべた。

そっとドアを開けるた。

部屋の中から、ふわりと薔薇の香りが漂ってくる。

祐子は雑誌を手に持ち、静かにベッドの上に座っていた。

「こんにちは」

秋山はにっこり微笑むと、ベッドの横にある見舞い用の椅子に腰かける。

祐子はいつものポーカーフェイスを保ったまま、ペコリと頭を下げた。

緊張からかだろうか。

祐子の顔が少し強張っているように見える。

相変わらず人を寄せ付けないクールな目をしているが、秋山には少しだけ心を開きかけているように思えた。

「ついに、あの日の記憶が戻ったらしいね」

「はい、思い出しました」

「僕に真っ先に連絡してくれて、ありがとう」

秋山は深々と頭を下げる。

祐子は秋山の誠実な態度に、思わず顔を赤らめた。

「では、早速ですが本題に入りましょう。あの日、いったい何があったの?」

秋山の目が鋭くなった。

祐子は秋山の鋭い視線を嫌がるように、部屋の片隅あるラムネ色の花瓶の方へ目線をそらす。

花瓶には、真っ赤な薔薇の花が綺麗に生けられていた。

「刑事さん。お話を始める前に、私と約束をして頂けませんか」

「約束?」

秋山は不思議そうに問い返す。

祐子は、秋山の視線をねじ伏せるように大きな目で睨みつけた。

「今から私がお伝えする話を、必ず信じて欲しいんです」

「それは、一般的に信じてもらえないような話ということだね」

「そうです」

祐子の勝気な表顔が、少しだけ不安げな表情に変わる。

秋山は、納得したように大きく頷いた。

「解った。君を信じるよ。君は嘘を吐くような人間ではなさそうだし、僕は基本的に人を信じるタイプだからね」

秋山の言葉に、祐子は安堵の表情を浮かべる。

その後、祐子は秋山の目を見つめたまま、黙り込んでしまった。

秋山は我慢強く、祐子の次の言葉を待つ。

祐子は、意を決したように重い口を開いた。

「あの日、私たちは学校が終わったあと、三人で待ち合わせして烏帽子岳の猿岩に向かいました。移動には、タクシーを使いました」

「そのメンバーは、君と塩田はるかさん、それに大林涼子さんの三人で間違いないね」

「そうです。でも私は元々このメンバーには入ってませんでした。二日ほど前に、塩田さんにある話を聞いたんです。その内容の中にちょっと気に
なることがあって、私も参加することしたんです」

「可愛い女子高生たちが、夕方の暗くなる時間帯に出向いて行く場所ではないね。いったい、どんな目的があってそんな山奥に向かったの?」
秋山は祐子の緊張をほぐすように、ゆっくりとした口調で問いかける。

祐子は秋山の目を見据えながら、秋山の問いとは別の事を口にした。

「私たち、襲われたんです」

「襲われた?」

「はい」

「それは烏帽子岳に登る途中の、猿岩の手前にある大きなカーブのところだね」

「そうです。丁度あのカーブのところに差し掛かった時、突然タクシーが急停車しました」

「なぜ、急停車したの?」

秋山のストレートな質問に、裕子は苦い物を口に含んだような表情を浮かべる。

「大きな猿が道を塞いでいて、タクシーが前に進めなかったからです」

「大きな猿・・・なるほど、そういうことか」

秋山は、納得したように大きく頷いた。

「君たちは、その猿に襲われたんだね。ちなみにその猿は、黄金に光る特殊な毛並みを持った猿じゃなかった?」

「えっ、何故それを知っているんですか? もしかして、刑事さんもあの大きな猿を見たことがあるんですか?」

祐子は驚いたように目を丸くする。

秋山は、祐子を落ち着かせるように静かに微笑んだ。

「残念ながら、そんな大きな猿には遭遇したことはないよ。でもね、雲の上に乗った猿は見たことがある」

「雲に乗った猿ですか・・・」

「そう、筋斗雲に乗った孫悟空みたいな奴。まぁ、写真で見ただけだけどね」

秋山は、少し戯けるように口元を緩めた。

「我々、警察の捜査も、着々と前に進んでます。だから、黄金に光る毛並みを持つ猿の情報も、少しは把握しているんです。それで、君たちを襲った猿はどれくらいの大きさだったの? 今回の事件は、そこが重要になってくると思うんだ。もしかして、その猿はタクシーを踏み潰すくらい巨大だったとか?」

何もかも見透かしたような秋山の言葉に、祐子は呆気にとられたように口を開けたまま動かなくなる。

秋山の顔から、いつもの笑顔が消えていた。

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やまの みき (著)
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