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捜査一日目
平成二十九年九月二十日、AM10:04
秋山卓也警部補の運転する白色のマツダアテンザは、長いトンネルを潜り佐世保みなとインターを越える。
助手席に座っている五反田恵刑事の視界には、真っ青な海と佐世保港に停泊する海上自衛隊の護衛艦の姿が飛び込んできた。
秋山は、助手席で目をキョロキョロとさせながら、興味津々に外の景色を眺めている新人刑事に話しかけた。
「五反田ちゃん、今回で担当する事件は何件目なの?」
「三件目ですね」
五反田は不思議そうに秋山の問いに答えると、また窓越しに移る景色に視線を戻した。
「三件目か・・・それは不味いな」
秋山は何かを思案するように、つぶやく。
穏やかな海の景色を楽しんでいた五反田は、目を丸くして秋山の顔を覗き込んだ。
「えっ?何が不味いんですか?」
「いや、刑事ってものはね。大体デビューから三件目くらいで、無理難題な事件にぶち当たるもんなんだよ」
秋山は少し意地悪そうに微笑む。
五反田は慌てたように声をあげた。
「そうなんですか? そしたら今回の事件、ヤバいじゃないですか?」
「だからか。さっきから嫌な予感が、プンプンしてる」
「冗談はやめて下さいよ。秋山さんの直感は当たるって有名なんですから」
驚きの表情をみせる部下を横目に、秋山は少しお道化たように肩を窄める。
五反田は、わざと怒ったように頬を膨らませた。
「秋山さん、そんな事ばっかり言ってるから、西海市の捜査から外されちゃうんですよ」
「あれは、外されたんじゃないの。逆に、こっちの事件に抜擢されたんだよ。猿の失踪事件より、こっちの事件の方が一大事だろう」
秋山は苦笑いを浮かべる。
「あっ、じゃあ私なんか、もう大抜擢ですね」
「それは、ちょっと違う気がするけど・・・」
困惑する秋山をよそに、五反田は笑いながらマーブルチョコレートを口に含んだ。
「そんな甘いものばかり食べてたら、また太るよ」
「秋山さん、それセクハラです」
五反田は口をもぐもぐさせながら、ぷにぷにした指でまたチョコレートを口に運ぶ。
秋山は笑いを堪えきれずに、思わず吹き出した。
二人の視界が、インター出口の緑の看板をとらえた。
刑事たちを乗せたマツダアテンザは、ゆっくりとスピードを和らげる。
佐世保中央インターの降り口方向に向かって、秋山は静かにハンドルを切った。
平成二十八年九月五日、佐世保市の聖文女子学園高校で、女子高生三名が行方不明になる失踪事件が発生した。
三人の女子高生を乗せたタクシーは、烏帽子岳を走行中に忽然と姿を消した。
そのうちの一名、森吉祐子は三日後に意識不明のまま柚木地区の山中にある観音菩薩の祀られた祠の前で保護される。
しかし、その他には全く手がかりも無く、捜査は暗礁に乗り上げ迷宮入りへ。
残り二人の生徒の消息は解らぬまま時は過ぎていった。
そして一年後。
永い眠りについていた森吉祐子の意識が回復する。
一報を受けた長崎県警本部は、捜査一課の秋山警部補と五反田刑事の二名を佐世保市に派遣。
捜査は佐世保烏帽子岳署から、長崎県警本部の捜査一課主導へ移行された。
佐世保中央インターで有料道路を降りた秋山は、本島交差点を左折すると、小佐世保経由で烏帽子岳の山頂を目指す。
山頂には、烏帽子岳一円を管轄する佐世保烏帽子岳署があった。
二人を乗せたマツダアテンザは、細い曲がりくねった山道を軽やかなハンドルさばきで、軽やかに走り去っていく。
秋山はアクセルを全開に踏み込んだ。
周りの景色が、変わった。
急だった坂道が、緩やかになる。
どうやら、山の頂に到着したようだ。
右手に、白い建物が見えた。
あれが目的地だ。
秋山はゆっくりと減速し、烏帽子岳署の方へ右折した。
烏帽子岳署の正門を通過する。
門前に護衛担当の警察官は立っていない。
鉄格子で出来た分厚い鉄柵は、二人を歓迎するかのように全開に開かれていた。
敷地内に車を乗り入れた秋山は、ぐるりと周りを見渡した。
アスファルトで固められた地面に、駐車枠を示すペンキで塗られた線は引かれていない。
駐車場のスペースには、詰め込めば余裕で二十台以上は軽く車が駐車できそうな空間が広がっていた。
秋山は、左奥に駐車しやすそうなスペースを見つけて車を停める。
車を降りた二人は、二階建ての白い箱型の建物に向かって歩きだした。
新人の五反田がキョロキョロとしながら、興味津々に周囲を見渡していた。
だだっ広い駐車場には、警察車両のジープが二台に、軽自動車のパトカーが一台。
右端に一般車両も四台ほど駐車されているが、あれは職員達の自家用車だろう。
周りは完全に森に囲まれている。
いかにも大自然を連想させる、空気が美味しそうな世界観だ。
敷地の中央奥に、小さな二階建ての白い建物と、その横には倉庫っぽいプレハブ小屋が立っていた。
秋山は歩きながら、ふと空を見上げる。
烏帽子岳山頂の青い空に、一つだけ、真っ白なもくもくとした雲が浮かんでいた。
あの雲は、えらく低空に浮かんでいるような気がする。
不自然に感じるのは、その為だ。
秋山は、雲と地上の距離の近さに少し驚いていた。
「小さな警察署ですね」
建物を見つめていた五反田は、ニコニコしながら上司に話しかけた。
秋山は、にっこり微笑む。
「この烏帽子岳を管理しているだけだからね。名前は立派だけど、実際は署員も五~六人しかいない駐在所のような処だよ」
彼女は、もっと大きくて立派な警察署を連想していたようだ。
五反田は、なるほどと言わんばかりに大きく頷いている。
秋山はそんな部下をよそに、空へと視線を戻した。
あれ?
あの雲が消えてる・・・。
秋山は怪訝な表情を浮かべた。
あんな綿菓子が濃縮されたように重たそうな雲が、一瞬で消えてしまうだろうか?
しかも、あの雲は異常なまでに、低空に浮かんでいた。
まるで、孫悟空がのる筋斗雲のような大きさで・・・。
自分の見間違いだったのだろうか。
いや、あの雲は確かに、さっきまでそこに存在していた。
記憶の糸が絡まってしまったように、頭の中がこんがらがる。
何故か、心の中を誰かにジッと覗かれているような、そんな嫌な気分になった。
「どうかしましたか?」
突然、空を見上げたまま立ち止まった上司の姿に、五反田が不思議そうに声をかけた。
「いや、何でもない」
秋山は部下の問いに答えると、足早に歩き出した。
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