【佐世保の公園めぐり】鼻繰城と砲兵隊ー保立公園編

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佐世保の公園めぐりー保立公園編

みなさまこんにちは。
公園大好き望月アーモンドです。

今日は歴史好きの人にはおそらく有名な公園「保立公園」です。

※取材は3月にしたもので、今、外出を推奨するものではありません。コロナが収束したら遊びにいってね!
また、現在(5月1日現在)佐世保市内の全公園遊具が使用禁止となっています。くわしくは 佐世保市ホームページページをご覧ください。

高台にある公園


清水中学校の向かい側の道を昇り詰めていくとあるのが保立公園です。車で坂を上っていき、入口にある公民館に車を止めさせてもらいました。ちなみに、軽自動車以外は厳しいです。とても狭い道なので転回が難しいです。

とにかく高台にあって、ベビーカー押して遊びに行けるような場所ではありません。
覚悟の上お登りください。

遊具も、トイレも、ベンチもありますが、なんとなく寂しい…。なんだろうこのもの悲しさは…。

戦国時代の城跡だった

とにかく高台にあります。人を寄せ付けない高さ…。誰か来るのかなって不安に思う高さです。

こんな高台にある理由。それは、ここが昔お城だったから。
かつて、戦国時代に遠藤但馬守(えんどうたじまのかみ)を城主とした「鼻繰城(はなぐりじょう)」というお城がここにあったそうです。

国道を挟んだ向こう側は佐世保城があったところ。

この鼻繰城の下、佐世保川と、国道を挟んで反対側には佐世保城跡があります。

佐世保城も但馬守が居城としていたそうで、但馬守が佐世保の領主として勢力をもっていたとされています。

しかし、その後平戸松浦の飯盛城主、松浦親が謀ったデマにより、だまし討ちにされ抹殺されてしまいます。

戦時中は陸軍の演習場

そして、さらにこの鼻繰城は明治時代には、陸軍の演習場として利用されています。

保立公園の下の清水中学校はかつて陸軍の佐世保重砲兵連隊がありました。
佐世保軍港を守るために作られた陸軍の部隊で、山や丘の頂に作られた砲台で軍港を守る任務を与えられた砲兵です。

この保立公園は、その砲兵の演習に使われた場所。砲台があった思われる場所はステージのようになっていてベンチがおかれています。

演習場を作る際にお城の遺構がほとんど失われてしまったそうですが、公園北部には一部石垣などが残っています。

この砲兵連隊は太平洋戦争中、マキン・タラワ島へ派遣され玉砕しているそうです。

公園に入る前には、砲兵連隊の水道施設の遺構があり、水不足を補うために濾過池をつくった跡が残されてます。

ということで、いくさの歴史が折り重なっている公園でございました。
鼻繰城の城主の但馬守は悲運の最期をとげ、さらに陸軍砲兵連隊は南洋で玉砕したという歴史。
最初に感じたもの悲しさはその歴史のせいなのかもしれませんね。

参考資料
平戸街道ネットワークの会『平戸街道』
池田和博・小川照郷『させぼの歴史を歩く・続 佐世保から歴史を歩く』
佐世保史談会『佐世保史跡探訪 歩く・見る・万部 ふるさと再発見』

佐世保の公園めぐりシリーズ

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保立公園
住所 長崎県佐世保市保立町38-1 [地図]
種類 街区公園
面積 8949㎡
施設 遊具、ベンチ、水道、トイレ、日本遺産(旧陸軍佐世保要塞砲兵連隊水道施設)
駐車場 なし
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