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3月8日はサバの日。今回はサバにまつわる佐世保の史跡をご紹介します。
時津町の「さばくさらかし岩」は有名ですが、佐世保にも「さばくさらかし岩」があるのはご存じでしょうか?
佐世保のさばくさらかし岩は山道にひっそりとたたずみ、そこには鯖を右手に持った「鯖大師」が祀られています。
かつて鯖大師をおとずれたことのある友人T氏の案内で、さばくさらかし岩と鯖大師を見に行ってきました!
後半は鯖大師とさばくさらかし岩の淵源についても触れていますので、歴史好きな方は最後まで読んでいってね~!
Ça va?お元気ですか?望月アーモンドです。
3月は桃の節句とか高校受験とか卒業とか忙しい月ですが、みなさん忘れてはいけないのが3月8日の「鯖の日」です。
3月8日はサバの日です。大事なので2回言いました。
今年みなさんに紹介したいのが、サバにまつわる佐世保の歴史。
佐世保にはさばくさらかし岩という巨岩があって、鯖大師が祀られているのをご存じでしょうか?
「時津のさばくさらかし岩なら知ってるよ」という方もいるかもしれませんね。
時津の「さばくさらかし岩」
別名 継石坊主。突き出た岩の上に坊主の頭のような丸い岩が今にも落ちてきそうな絶妙なバランスで乗っています。
かつて、そこを通った魚屋が「岩が落ちるまで待とう」と待っていたため、サバを腐らせてしまった逸話から「さばくさらかし岩」とも呼ばれています。
絶対に落ちない岩として今は「合格祈岩」の観光スポットになっています。
さばくさらかし岩サイト
実は佐世保にも「さばくさらかし岩」という名前の岩があるのです。
そして、そこには鯖大師が祀られています。
調査してきたのでご報告いたします!
今回は、友人のT氏が同行してくれました。
T氏は黒髪小出身で、かつて郷土学習の授業でこのさばくさらかし岩と鯖大師を訪れたことがあるとのこと。
もみじが丘団地ができる直前のことだったので、その後団地ができてから鯖大師がどうなったのか気になっていたそうです。
ちなみにもみじが丘団地は1982年(昭和57年)に造成が始まりました。
google mapとそのコメントを頼りに目的地へと進みました。
かつての道と変わってしまったため、入口がわからず。団地のまわりをうろうろしていたところ、発見しました!入口!
看板ちっさ!!
みつけた瞬間、「あった!」と興奮気味のT氏。
これまでの歩くスピードとは桁違いの勢い。あっという間に階段を登っていきます。
階段を登り切ったら、藪にたどり着きました。
気合いを入れなおして入っていきます。
足元はゴロゴロとした石。左は崖。アラフォー&アラフィフの婦人調査団は慎重に慎重に前に進んでいきました。
2分ほど進むと目の前に大きな一枚岩が出現。
もうすぐばい!
T氏、荷物を放り投げ、身軽になって突き進む。
さらに道は険しくなり、道がなくなったかと思ったころ、岩と岩の間に人ひとりが入るくらいの隙間を発見。
躊躇なくT氏が入っていきます。
隙間を抜けて後ろを向くと……
鯖大師発見!!!
足場から2メートルくらい上の岩の中に鎮座しておりました。
鯖もってる!鯛っぽいけど…
下にはお賽銭が。いつのだろう……。
山道があったのでそこから鯖大師のいる岩を望むとこんな感じです。
たしかに岩がそびえたっていてちょっと怖い。
こんな山道を昔の人は歩いていたんだと、いろいろ感動してアスファルトの道に無事戻りました。
この鯖大師は資料によると、明治末年に地元の須藤虎之助氏らが徳島県のサバ寺(四国別格霊場鯖大師本坊)から分霊して安置したものとのこと。
鯖大師とは弘法大師のことで、「鯖大師本坊」のサイトにその由来が掲載されています。鯖を売っていた欲深い男と弘法大師との逸話が「鯖大師」と呼ばれる由来だそうです。
佐世保の鯖大師は松尾山青蓮寺の管理になっているようで、「松尾山日宇新四国札所」と表札がありました。
つまり、お遍路の新しい場所として祀っているということですね。
一方、さばくさらかし岩についての言い伝えは徳永繁氏の『日宇郷土史 干海』に次のように載っていました。
日宇・猫山の藤原焼窯元から東に上ると、〈しょうぎ山〉という所がある。
そこから大塔を経て早岐に超える山路にさしかかると、上から大岩が今にも落ちそうになったところがある。
昔、ある夏の日、早岐からひとりの魚屋が猫山方面に行商のため、鯖を入れた籠(かご)を天秤棒で荷なって、その坂道を通りかかった。
喘ぎ喘ぎ登りながら、ふと上を仰いで驚いた。
今にも大きな岩石が頭の上に落ちてきそうであった。
いたって気の弱いその男は、たちまち肝をつぶしてしまった。
「ああ困ったぞ、こんな所だとは知らず、ここを通れば近いと聞いてやってきたが、全く恐ろしいところだ、行こうかな、戻ろうかな」
男はしばらく思案した後、とうとう通らずに、もと来た道をすごすごと引き返して行った。
早岐に着いた時は、暑い夏のことだったので、生の鯖は腐ってしまった。
この話が伝わって、その難所を〈さばくさらかし〉と呼ぶようになった。
また、その場所には、岩をくりぬいて彫った、手に鯖をぶら下げた立像、俗にいう〈鯖大師〉が祀ってある。
いくつかの資料を読みましたが、さばくさらかし岩と鯖大師のつながりがイマイチ明らかになりませんでした。
このさばくさらかし岩のある山道は昭和初期までは生活道路だったようで、木場(黒髪北部)や柚木の人たちが牛の背に荷駄(荷物)をつけ、夜道は松明をつけて行き来していたそうです。
鯖大師が明治末に安置されたということなので、旅の加護を願っての事かもしれませんね。
今回同行した友人T氏は、団地ができる前に小学校の郷土学習でこのあたりを歩いたそう。
平戸往還については多くの資料が残っていてその道を歩くことはあっても、こういった生活道としての古道はなかなか知る機会はないし、歩くことはなかなかないでしょう。
T氏の当時の担任が郷土史研究家だったので、きっと子供たちに消えゆく歴史を伝えようとしていたのかもしれません。
もし調査してほしい!という場所があったら「させつー調査団」までどしどしご連絡ください!
参考資料
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